【眼鏡】日本のメガネレンズ発祥の地・田島

2021.02.12

静岡県御殿場市・小山町・裾野市のメガネ・補聴器・コンタクトのヤマトヤ、事務スタッフのアオシマです。

 

日本国内でメガネ製造がさかんな都市と言えば福井県鯖江市。鯖江、さばえ、SABAE。弊社のキャンペーンにも登場したことのある「めがねのまち さばえ」です。

 

あまりにも有名なので、もしかしたらこのブログをお読みになっているお客様の中でも「メガネといえば鯖江」とご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

 

日本のメガネ生産の大半を占める福井県鯖江市。1980年代に世界初のチタン製メガネフレーム製造技術を確立したり、眼鏡フレームの接合や研磨の分野で世界的に高い技術力を持つメーカーがたくさんあります。

 

「世界初」「世界的に」と、今や、メガネ製造といえば押しも押されぬ製造地となった鯖江。

 

しかし、歴史を少々さかのぼってみると、もうひとつ別の地域の存在が浮かび上がってきます。それは・・・・・・

 

【日本の眼鏡レンズ発祥の地・田島】

 

です。田島は大阪市生野区にある地域。日本における眼鏡レンズ発祥の地として隆盛を誇った地域でもあります。

 

たまたまなのですが、個人的に好きな神社仏閣めぐりのためにネットで情報収集をしていたときのこと。偶然見つけた田島神社の敷地内に「眼鏡レンズ発祥之地」という石碑を見つけたことがきっかけで、調べることにしてみました~。

この石碑の内容を要約すると・・・・

 

★我が国のレンズの発祥の地は田島であること

★江戸時代、石田太治郎が眼鏡レンズの技術を田島へ持ち込んだこと

★明治時代、それが農家の副業として広まったこと

★大正時代、本格的に眼鏡レンズの生産に乗り出したこと

★戦後は医療用レンズを輸出をしていたこと

 

・・・などの事柄が記されています。

 

まず、意外だったのが眼鏡レンズを磨く技術が江戸時代に既にあったということ。江戸時代から日本人は眼鏡をかけていたのですね。

 

また、別の記述によると、幕末~明治時代中頃まで機械はもちろんのこと、電気も水道も不自由だった時代、手作業で眼鏡レンズをこすりながら度をつけて磨がいていったとのこと。農家の人たちが一列に並んで「めがね歌」を唄いながら仕事をしていたそうで、なんだか牧歌的な光景が目に浮かんできますね。

 

1913年に田島に電気がひかれると眼鏡レンズ工場が生まれ、田島レンズの生産量に変化をもたらし、ますます田島レンズの製造は盛んになってゆきます。

 

そして、私が興味をひかれたのが江戸時代に田島にレンズ技術をもたらした石田太治郎なる人物。

 

田島神社に建てられている「顕徳の碑」に石田の人生のあらましが簡潔に書かれてありますので、読んでみましょう!

 

石田太治郎君は天保二年三月摂津国田島村に生る。
家世々里正たり農耕を業とす。
君幼にして右脚の自由を失し父祖の業を継ぐこと能はず。
謂へらく坐食為すなきは我が志に非ずと
奮念起きて丹波国に往き眼鏡製作の技を習ひ
苦精励其術を極め家に環りて業を創る。
実に安政四年の五月にして君が二十四歳の時なり。
其後伝習するもの年を逐うて増加し今や村之を業とせざるものなく
其利年々四萬円を超え田島眼鏡の名世に著はるに至る。
嗚呼是実に世務を開き恵を後昆に垂るるものと謂うべし。
頃日同士相謀り碑を建て其の偉績を不朽に伝えんとし文を予に請う。
予其美挙に感し又文を顧みて其行実を叙すること此の如し。

大正二年四月

大阪府知事正四位勲二等大久保利武額
大阪府天王寺師学校長従六位勲六等村田宇一郎撰文

 

え・・・・?この文章、難しすぎませんか(笑)?

 

めげずにGoogleで単語を調べつつ読み解いた結果、この石碑の内容で「すごいなぁ」と感じたところがありました。石碑の前半の内容で、

 

幼い頃に病気で右脚が不自由になって、そのせいで家業を継げなくなった。

 

でも一生を無職のままごすつもりはなく、眼鏡制作の技を習得し、生業とした

 

という箇所です。

 

「人様の世話にはなりたくないねん」と大阪弁で石田が言ったかどうかはわかりませんが、体の不自由さを盾にして無職のまま生きるという選択肢はなかったようですね。

 

石田は脚が不自由なら手に職をつけようと思い立ち、眼鏡レンズの研磨の技術を習得するために丹波(京都府北部)へ赴くのです。

 

「経済的に自立するんだ!」という石田の並々ならぬガッツを感じ、そこがいいなぁ、と思います。最終的に田島地区を眼鏡レンズの一大生産地へと導くという偉業を遂げていますから、やはり並大抵の人物ではありません。

 

そんな田島の眼鏡レンズも1960年代以降、ガラスレンズにとって代わってプラスチックレンズが工場で大量生産されるようになります。そういった時代背景の中、田島の眼鏡レンズ産業は衰退の兆しをみせてゆきます。

 

(・・・って書くとやや寂しい気もするのですが、もちろん、今でも元気に製造に励んでおられるメーカーさんもおられます)

 

日本の眼鏡レンズ発祥の地・田島のお話、いかがでしたか?

 

眼鏡の歴史をちょっと紐解くと、鯖江以外の地域の歴史に行き当たり、そこで紡がれた物語に触れてみると意外な発見があっておもしろいですね~。

 

以上、田島の眼鏡レンズのお話でした。

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